若き日の摂津守光辰 山本周五郎

 猫ってかわいいよな〜。そのしぐさを見ていると心が和む。だからだろうか、GHの回りにはホームレスや猫が沢山いて、自分の生活に困っているホームレスでさえ猫を餌付けしているもんな〜。
 猫って言葉を辞書で引くと、猫を使った諺が多いんだよ。それだけ猫は生活に身近だったのか、また、その多様な性質が各種表現に便利だったのかな〜。とにかく、猫の一日も注目の価値がある。けど、オレにはそんな暇ない。あ〜そーいえば、オレも現代っ子だから、夏目漱石の「吾輩は猫である」読んだことないな〜。早く読みたい。
 主人公の摂津守光辰には、もどかしさや、苛立ちがを感じたけど、最後は気持ち良かった。胸がスカッとした。いやいや、胸を刺された方はそれどころではないだろうが。まー犬を食った猫、摂津守光辰とでも云っておこうか。
 何をするにしても、ことは一人では運ばない。生きて行く為には他者の協力が必要である。持ちつ持たれつ。ってとこか。仏陀ですらその偉大さの評価の裏には、他社が存在し、他者を救うことによって尊ばれているのである。だから、仏陀と云えども、一人で生きているわけではない。そういう考えがあるからだろうか、いくつかの国の僧は、托鉢によって頂いたものしか口にしないし、その頂いたものを食べる時以外、自分で触れてはいけない。他者への感謝の気持ちを育てているんですね。きっと。
 で、その光辰の場合もそう。決して望んでいたわけではないのだが、人を見る目や、その人を思う気持ちってのはやっぱ大事だよ。いつでも。知識を蓄えるのも大事で、その努力を怠らないのも大事。けど、人間の一番大事なのは心だよ。ハッキリ云ってこの作品の主要人物2人は知識・教養があるとは思えない。けど、人間力がはるかに大きかったのだ。