美しき行為
「坊主丸儲け」なんて言葉を聴くとおり、立派な寺に住んでる坊主も結構いる。それでいて良い車、われわれ庶民の手の届かないような車に乗っていたりする坊主もいる。けど、貧しい坊主もいることも確か。けど、裕福な坊主の豪遊?ぶりが目立ってしまうのだろうね。それに葬式だの、戒名だのいろいろ寺にかかる費用は高い印象がある。
街でたまに見かける托鉢を行っている坊主。托鉢といってもおのおのの家に訪れるわけでもなく、その場に立ってひたすらお経を唱えている。彼らはせめて何宗か示す必要があると思うのだけど。。。
違う宗派の仏壇でお経となえないのだったら、違う宗派の人間からは施しを受けないはず。そんなこと彼らは考えたことあるのだろうか。
まっとはいっても、街で行うこの行為そのものは美しくもあるんだけどね。たまに怪しいのもいるけど、目を見れば、顔を見ればどのような生活を送ってきたか多少判断できよう。
この行いもそうだけど、またそれに施しをする行為もある意味美しくある。値段なんてどうでもよいんだ。その行為自体に意味があるのだから。