生きている源八
すべて読みやすく、読後感の良い短編小説からなる本。ここでは本のタイトルにもなっている「生きている源八」について特に述べる。
山本周五郎作品の良いところは、人間味のあふれるところにあると思う。実際の生活でこれほどまで人間味のあふれる生活を望めないのだったら、せめて本の中で溢れんばかりの人間愛にふれてもらいたい。それができるのが山本周五郎作品だと思う。
生きている源八の主人公、源八は特に抜きんでた侍でない。相手の侍大将の首を取ったりといった優れた活躍はしない。ただ目立つと言えば、どんな負け戦で、彼のいる部隊が全滅しようが源八だけは生き残っていると言うことだ。
そんな源八だが、戦い方はきわめて異例で、まさに生き方を体現していると言っても良いだろう。決して逃げることなく、敵の鉄砲をおそれずに勇敢に突き進む。そんな戦い方をしているからだろうか、彼自身が率いる部隊は多くの犠牲者を出すことも少なくないという。しかしそれは戦況を考えれば当然の結果であり、しっかり役目を果たしているという点では見事といえる。
多くの犠牲者を出しても悲しくないのかとの問いにある時、源八は言う。「さむらいとして戦場へ出る者は、はじめから討ち死には覚悟の上だ、御馬前に討ち死にすることが武士の面目であるとは言葉の綾でなく、心の叫びだ」。なるほど、武士としての本質を突いた言葉だと思う。
今の世にこの、これこそ武士道という精神を持ってこいと云うわけではないが、本質を見失いがちのこの世の中に、「本質を問う」大事をもう一度考えさせてくれる一冊に違いないだろう